マーケティングの神様に助けてもらってここまで来た01

私は、これまでマーケティングの神様に助けてもらって来ました。

本当に苦しい時、私を助けてくれた神様です。

 

私は、ゼクシィという結婚情報誌の創刊に携わりました。

リクルートで新しい情報誌を創刊するメンバーになるというのは、とてもラッキーなことだと思います。

しかし、私は、リクルート全社からの公募で選ばれた精鋭たちが凄すぎて、自信を完全に失いながら、仕事をしていました。

 

私が担当をしたプロジェクトは、ウエディングジュエリーの広告企画を立てるというもの。

他のホテル・式場担当、衣装担当、家具などの新生活担当、海外ウエディング担当していたメンバーは、きっちり創刊号までに企画を立て、それぞれの広告も集めていたのに対して、私はというと、創刊号にジュエリー企画は間に合いませんでした。

間に合わなかった以前の問題で、企画が決まらなかったのです。

主要広告主をブランド中心にするのか、量販店にするのか、といった方向性すら決まらない。

結局すったもんだの末、ブランドを掲載したがる編集部の反対を押し切り、半ば私のゴリ推しにで量販店中心で行くことが決まりました。

 

しかしジュエリーの量販店というのは、リクルートの取引があまりない業界。

ジュエリー量販店小さな店舗が多く、企業の求人広告クライアントの多いリクルートで取引をしているところがほとんどありません。社内取引ルートがない、それは、全くの新規市場を切り開いて行くことを意味します。

茨の道を選んでしまった・・・というか、誰もが敬遠したため、茨の道しか残っていなかった・・・ということは、だいぶ後になって気づいたが、その時は、途方にくれる毎日でした。

そんな時、ゼクシィの生みの親(この新規事業提案を会社にした)渡瀬さんから、「電話帳から引っ張り出したデータを使う?」との神提案が。

どのくらいの数があったか知りませんが、電話張に掲載していた東京都のジュエリーショップはすべて網羅していたと思います。

そこに、ダイレクトメールを送ることにしました。

 

生まれてはじめてのダイレクトメールです。

 

ビギナーズラックなのか、リクルートという看板の力なのか、私のDMの内容が良かったのか、反応は良かったです。

といって歩留まり数パーセントといったところでしょうか?しかし、返信はがきが戻ってきたところの約半分が受注につながり、ジュエリー企画成立の最低見開き2ページ分の有料広告を埋めること、という最低のハードルは超えることができ、企画成立です。

そのジュエリー企画は、どんどんクライアントが増え、ページ数で1号あたりの広告ページ100ページ以上、年間売上で1億以上のオバケ企画となりました。

毎年1億以上の売上を20年近く生み出した企画は、お先真っ暗の絶望の中で、一縷の望みで出したダイレクトメールがきっかけだったのです。

これが私の最初のマーケティングの成功体験でした。

 

 

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